大学の卒業に失敗した
四回生の冬、2月8日。
卒業試験の再試に落ち最後の単位を取り損ねて、留年が決まってしまった。大学院に進学する予定で、夏に院試に合格していたのだけれど関係なくなってしまいました。両親に謝りました。
一浪一留。
今後どうするかと考えた時真っ先に思い浮かんでいたのが就職だったので、就職活動を始めました。就職の選考解禁が三月解禁というのはつい二、三日前のことです。
卒業試験を落ちた後になってようやく卒業失敗後の大変さを思い知ったわけですが、そういった自分の想像力の無さを思うにつけ私は愚かです。
どうして落ちてしまったんだと思わずにはいられません。しかしまた同時に、私が落ちたのは偶然のアクシデントではないことも嫌々ながら承知してしまいます。
落ちた理由として私が考える最も大きなものの1つは、卒業試験の近くでも趣味の絵を描いていたことです。私は卒業試験の勉強にそれなりに時間を費やした気になっていました。しかし、やってもやっても卒業試験の問題集の答えが頭に入ってこなかったのは次の漫画や次の絵に早くとりかかりたいという気持ちが強かったからだと思っています。もちろん、試験勉強に単純に費やした時間も少なかったのだとは思います。
どうしてそんな阿保なことをしていたんだと、今の私なら言えます。漫画家になる夢を捨てた今の私なら。
私はいつも自分にストレスを感じていました。この歳になってこんな絵を描いているようじゃ漫画家にはなれない、もっとうまくもっと面白く描けなきゃ……。私は一片の曇りもなく漫画のことが大好きでした、これは子供の頃からずっとでもはや趣味とかそんな生易しいものじゃなくて呪いです。ちょっと先のことが見えなくなるくらい好きでした。冷静に考えれば絵を描きながら大学院で研究を続けるというのが最善であり、そのために絶対試験に受かるということを考えるべきで一旦筆を置いて卒業試験の勉強をすればちょうど良かったのですが――。
卒業試験に落ちて、そして私はここで漫画家になる夢を捨てました。漫画関係のものをしまいこみ別れを告げました。
趣味関連のもので片付けれられるものは一通り片付けた。たいした量を片付けたわけではないけれど、この部屋はこんなに広いのかと思った
— ミレン (@mirenn00) 2018年2月12日
アイデアをメモしていた落書き帳や描きかけの原稿や鉛筆や好きな漫画や背景集やデッサン人形。それらをしまいました。量としてはたいした量ではなかったんですが、いつもいつも私の頭の片隅にあった漫画関連のものたちをごっそりなくすと部屋が寂しくなりました。
そして肩の荷がおりた気がしました。少しだけ楽になった気がします。こういうときにふっと夢を捨てれるのでしょう。(といいつつ諦めるという表現の代わりに捨てるという表現を使ってしまうのは、いつかまた拾う気がしてならないからなのですが、それは絶対に遠い遠い遠い先)
卒業試験は精神的にしんどかったです。ひるがえってそれと比べると、研究はぼちぼちこなせていたと思います。小さなポカとその軌道修正はそれなりに覚えはありますが、卒業失敗!というほどの大ポカはやっていなかったと思います。それはやっていた研究が画像処理だったので結果が目で見てわかる形として出力される部分が絵描きの性にあっていたのと、やらせた頂いた課題が私の関心のある領域だったこと、そしてまがりなりにもパソコンサークルに所属していてプログラミング自体好きだったからです。色々工夫して出した結果画像を共同研究先の方に褒めていただいたときは、よっしゃ!と思いましたね。もちろん試行錯誤してるときはとても辛かった……。
卒業失敗して迷惑をかけたりして、反省することばかりです。
一浪一留になったし、良い区切りだと思って夢も捨てました。
就職活動でベストを尽くしたいと思っています。
追記
このとき落ちた理由を絵の面に強く関連付けて書きなぐりましたが、また後々指摘されたり自分でさらに考え直してみると、単純に性格的に切り替えがうまくないことやメンタル面での弱さなどが主因という気もしています。